世間一般のステレオタイプでは、50代独身男の婚活など「哀れな悪あがき」に過ぎないらしい。 だが、最初に言っておく。その認識は甚だしい誤解だ。
私がアプリを始めたのは「寂しさ」の埋め合わせなどではない。断じて違う。 これは、完璧な独身生活を謳歌する一人の建築家が、カオスと化したマッチングアプリ市場を「論理」だけで制圧するための実験記録だ。
56歳、うどん県在住。世間が言うところの「偏屈な男」が、なぜ今さらこの泥沼に足を踏み入れたのか? その緻密な「設計意図」を、ここに公開しよう。
はじめに:平穏な独身生活への「異物混入」
まず断っておくが、私は現状に何一つ不満を持っていない。 夜中にふと目が覚めて、天井のシミを数えるような感傷的な夜など、私には無縁だ。
一人で食べるステーキの焼き加減は常に完璧だし、誰にも邪魔されずに聴くマーラーの交響曲第5番こそが至高の贅沢だ。家の中はすべて私の論理で配置され、埃ひとつ落ちていない。この完璧に構築された独身生活(ライフスタイル)を、私は心から愛している。
そんな私が、なぜ今さら「マッチングアプリ」などという、若者たちの欲望と虚飾が渦巻くデジタル市場に足を踏み入れたのか。
周囲の人間(もっとも、そんなことを聞いてくる友人は片手で数えるほどしかいないが)は、口を揃えてこう言うだろう。「ついに桑野も終活か?」「人肌が恋しくなったか?」と。
ナンセンスだ。甚だしい誤解だと言わざるを得ない。
私が動いた理由は、もっと崇高で、かつ論理的なものだ。 今日はその「設計意図」について、感情論抜きで説明しよう。
1. アプリという「システム」への興味
建築家という職業柄、私は物事の「構造」が気になって仕方がない。 基礎はどうなっているのか、動線は合理的か、そこに美学はあるのか。
アルゴリズムによる「品定め」の構造
現代のマッチングアプリは、いわば男女の需要と供給をアルゴリズムで仲介する巨大な入札システムだ。
顔写真という外壁(ファサード)、年収や身長というスペック(仕様書)、そして自己紹介文というプレゼン資料。これらを材料に、見知らぬ他人が0.1秒単位でスワイプし、品定めし合う。 そこには、運命だの赤い糸だのといった不確定要素以前に、冷徹な「確率論」と「データ」が存在するはずだ。
私はこのシステムのアルゴリズムが、56歳の偏屈な建築家をどう処理するのか、その挙動(バグを含めて)を検証したくなったのだ。エンジニアリング的な視点で見れば、これほど興味深い実験場はない。
コストパフォーマンスの論理的帰結
また、コスト面での合理性も見逃せない。 結婚相談所という名の「仲介業者」に高額な手数料を支払うのは、中間マージンを搾取される公共事業のようなもので癪に障る。 その点、アプリは月額数千円。サブスクリプション型のサービスとして、失敗した際のリスク(損切り)が最小限で済む。 このコストパフォーマンスの高さは、私の経済観念とも合致している。
2. 「50代男性」という不良債権の処理
世間一般のデータを見れば、50代男性の市場価値が著しく低いことは明白だ。 20代、30代の女性からすれば、我々は「視界に入らないノイズ」か、悪くすれば「介護要員を探しているおじさん」としか映らない。
築56年の「古民家物件」としての価値
不動産で言えば、私は築56年。リノベーション未実施。 確かに新築物件(20代男性)のようなピカピカの設備はないし、耐用年数も迫っているかもしれない。一般市場では「解体待ち」の物件扱いだろう。
だが、「だからこそ」面白い。
誰でも勝てるイージーゲームに勝っても、建築家としての達成感は何もない。 圧倒的な不利な状況(ハンディキャップ)の中で、いかにして自分の価値をプレゼンし、ニッチな需要を掘り起こすか。
「古くて面倒くさい構造だが、梁(はり)だけは立派だ」「この偏屈な間取りが逆に落ち着く」 そんな物好きな顧客(女性)を見つけ出す作業は、難解な変形地に家を建てるのと似ている。制約が多ければ多いほど、腕が鳴るというものだ。
「おじさん構文」という欠陥工事の回避
また、同世代の男たちが陥りがちなミス――いわゆる「おじさん構文」や「若作り」といった痛々しい振る舞い。 これらを私は「構造上の欠陥」と定義している。 絵文字を多用したり、馴れ馴れしく距離を詰めたりする愚行を避け、あえて硬質なテキストだけで勝負した場合、どのような反応が得られるのか。これも重要な検証項目の一つだ。
3. うどん県という「地方」の変数
さらに言えば、私の居住地は東京のような大都会ではない。うどん県だ。 母数(パラメータ)が少ないこのエリアで、アプリというツールがどれほど機能するのか。
閉鎖商圏におけるマッチング精度
都会であれば、数千、数万の候補者がいるだろうが、地方ではそうはいかない。 スワイプすればすぐに行き止まりになる在庫不足の中で、いかに最適解を見つけるか。 都会の論理が通用しない地方のリアルという変数が加わることで、この検証はより複雑さを増す。
「身バレ」というリスク管理(リスクヘッジ)
そして、地方特有の最大のリスクが「身バレ」だ。 アプリでマッチングした相手が、翌日スーパーでうどんを啜っている隣の席にいるかもしれない。あるいは、取引先の事務員かもしれない。 この狭いコミュニティの中で、社会的信用を損なわずにアプリを運用する。このスリル満点のリスクヘッジ(危機管理)こそ、平和ボケした日常への良いスパイスになるだろう。
4. 目的は「結婚」ではない。「最適解」だ
最後に、最も重要なことを言っておく。 勘違いしてほしくないが、私は血眼になって「結婚相手」を探しているわけではない。
「共鳴」ではなく「共存」
世の中のカップルは「共感」や「繋がり」を求めすぎる。 四六時中LINEを送り合い、週末は必ず一緒に過ごす? 冗談じゃない。私には私の時間が必要だ。
私が求めているのは、ベタベタした関係ではなく、互いに独立した個として存在できる関係だ。 いわば、同じ敷地内に建つ「離れ」のような距離感。 私の生活リズムを崩さず、私の趣味に口を出さず、それでいて知的で会話が成立する相手。
0.01%のユニコーンを探して
そんな都合の良い相手、ユニコーンのような架空の存在が、このデジタル広野に生息しているのか。 それとも、ただの都市伝説なのか。
結果としてそこにたどり着く可能性はゼロではないが(0.01%くらいか?)、それを確かめるまでは、このアプリという現場から撤退するつもりはない。 これはもはや婚活ではない。私の仮説が正しいかどうかの、壮大な社会実験なのだ。
結論
これからこのブログでは、私が収集したデータ、遭遇した「地雷」、そして導き出した「攻略法」を包み隠さず公開していく。
成功も失敗も、すべてはサンプルデータの一つに過ぎない。 笑いたければ笑えばいい。だが、私の屍(データ)は、後に続く迷える中高年男性たちの道標(ガイドポスト)になるはずだ。
さあ、検証の始まりだ。 56歳がアプリで足掻いて、悪いか!!